河崎だより 伊勢市観光協会ブログ

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No.55 電車道

   

駅前の通りには路面電車が通ってました

※駅前の通りには路面電車が通ってました

年配の人がたまに「電車道」って言うの聞いたことありませんか?
伊勢から二見に抜ける道を「二見街道」といいますが「電車道」という人もいます。
かと思うと、倉田山球場へ行く道も「電車道」といいます。

伊勢の街中を路面電車が通っていたことを知る人はいても、見たことある人は少ないでしょう。

ここにあるのは昭和27年の伊勢の地図です。
太平洋戦争が終わって7年経ったものですね。

まだ伊勢市駅前の大通りができる前ですが、ばっちり路面電車の線路が通ってますね。
市役所裏を通る路線、御幸道路を通る路線に分かれています。
外宮前に路面電車の駅があったなんてワクワクしちゃいませんか?

私の母はこのころ10歳で、路面電車の前に付いている網(人を轢かないように電車にぶつかるとその網にポイッてて入っちゃう仕掛け。救助網と言うんだそうです)でよく遊んでたそうです。

「山田魚市場」の文字が見えます

※「山田魚市場」の文字が見えます

この路面電車、伊勢市駅から二見、内宮、そして朝熊山登山のケーブルカー(当時は東洋一と謳われていた)。3つの行き先があったそうです。

ちなみに、私が作っているサトナカ(クッキー)の工房は朝熊にあるんですけど、路面電車の変電所跡を改築して使っています。

その頃の河崎はどんなだったでしょう。

百五銀行が今と同じ場所にあるんですね!
郵便局は今の場所の向かい側くらい。
そして商店は「角仙」が掲載されています。

伊勢湾台風が昭和34年ですからまだ勢田川は改修されていない頃でしょうか。

宇治山田

※宇治山田駅どまりになっている。

この頃国鉄(いまのJRですね)は東京から直接伊勢に来る夜行列車があったと言います。
そして近鉄も来てますね~。
しかも!宇治山田で終わっている!

鳥羽まで近鉄が開通するのは昭和45年ですから、ずいぶんと先のことになります。(鳥羽⇔志摩間は昭和4年から志摩電気鉄道の路線があった。志摩観光ホテルへは宇治山田から三重交通のバスに乗り、鳥羽まで行って、そこから志摩電気鉄道に乗って行ったのかな?)

路面電車が通っていたころの伊勢はどんなだったでしょうね~。
まだまだ駅前の旅館もたくさんあって、それは賑やかなことだったと思います。

伊勢の昔をもっと知りたいという方は下記のブログを訪れてみてはいかがでしょうか。

いにしえの伊勢
伊勢の古絵葉書などの研究をされている方のブログです。興味深い昔の写真が満載です。
「伊勢の鉄道」といカテゴリーに鉄道のことが詳しく写真つきで紹介されていますヨ。

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